Q&Aコーナー / ミサ・集会祭儀 編


ミサの感謝の祭儀で、聖櫃からご聖体を出すのは誰の仕事なのでしょうか。

原則的には司祭です。


ミサの最後に祝福を受ける時、信徒も十字をきるのでしょうか?

アーメンと答える以上の決まりはありません。自由にしてください。


先頃発表された『ミサの規制緩和』とは、どういうことですか?

ラテン語のミサを、特別な許可なしで捧げられるようになった、ということです。


クリスマス、復活祭以外の祝日(聖霊降臨、三位一体、聖体の祝日など)を盛大に祝うにはどうすればよいでしょうか?

これらの日に特有の典礼はありませんが、工夫はできるでしょう。


両形態による拝領とは、どのような時に行なうのが適切でしょうか。

誤解する人が少なくなるように、学び合いましょう。
2014年11月30日発効の「日本におけるミサ中の聖体拝領の方針に関する指針」には、両形態の拝領が認められる機会について定められています。


ミサの第一朗読、第二朗読のあとには侍者だけが「神に感謝」と答えるのに、福音朗読のあとだけは全員で「キリストに賛美」と唱えるのはなぜですか?

ことばの典礼の中心である「福音」に対する、心からの同意と賛美を表現するためです。


ミサ中の信徒の動作が各小教区で違いがあるように思うのですが、統一すべきではないでしょうか。

典礼の核心に触れるような事でない限り、強いて統一する必要はないでしょう。


主日の集会祭儀は、どの本を使ったらいいですか。

2018年11月にカトリック中央協議会から『司祭不在のときの主日の集会祭儀【試用版】』(日語版)が発行されました。
会衆向けの式次第はカトリック中央協議会のホームページからダウンロードできます。
www.cbcj.catholic.jp/2018/11/08/17943/
ただし、外国語版はまだないようです。


共同宣教司牧などで、複数の神父様が来られるようになりましたが、それぞれミサのやり方が変わるので統一してほしいのですが・・・。

無理やりに統一するよりも、むしろその違いをミサの豊かさとして受け止めていきましょう。


うちの教会では公式祈願を全員で唱えています。
本来、司祭が唱えるものではないのですか?

原則的には司祭が唱えるものですが、
内容によっては全員で唱えることもいいでしょう。


神父様のご聖体はなぜ大きいのですか?

いくつかに割って、分け合って食べることができるようにするためです。


ご聖体は噛んではいけないのでしょうか?
たしか子どものころ、公教要理でそのように教えられた記憶があるのですが・・・・・・。

いちがいに「噛んではいけない」とは言えないでしょう。
わたしたちのためにパン、すなわち食べものとなられたイエスさまが、「(これを取って)食べなさい」とわたしたちにすすめておられるからです。


集会祈願や奉納祈願、拝領祈願などはなぜ、「公式祈願」と呼ばれるのですか?

「聖なる民全体と会衆一同の名によって」、つまり共同体全体の名によって司式司祭が唱え、神にささげる祈りだからです。
公式祈願は「集会の座長」をつとめる司祭によって唱えられます。
ですから司祭はその役割上、この祈りを「明確に大きな声で述べ」なくてはならず、また参加者も「これを注意深く聞く必要が」あります。
共同体全体がささげる「公式」の祈りなのですから、この間(自分に関係ないことが言われている・・・・・・)というように、まるで他人事のような態度で接することはできません。


侍者とは何をする人ですか?

ミサにおいて神さまと人々に奉仕する人のことです。
典礼が行われる場(祭壇や朗読台、司式席や会衆席など)と典礼で用いられるもの(パンやぶどう酒、祭器や祭服など)の準備をし、集まった人々が心を合わせて祈ることが出来るように司祭の手助けをする役割をもっています。


今度、地区で聖体大会を開きますが、実行委員にあたった人がみんな初めてで、どんなパンフレットにしたらいいのか迷っています。
こういう時、最低こういうものは用意しなければならない、というような規定はあるのでしょうか?

特にこれだけは印刷しておかなければ、というものはありません。
参加した人々が、どうしたらいいか迷ったり困ったりすることがないように、ということだけをきっちり押さえておけば、どんなものでもかまわないのです。


ミサ中、立ったり座ったりしますが、動作に何か意味があるのですか?

伝統的に、立つのはキリストの復活を象徴する姿勢、座るのは黙想する姿勢だと考えられています。


なぜ祭壇にローソクを置くのですか?

ローソクの灯は私たちの喜びのしるしだからです。
ミサだけでなく、さまざまな典礼においてローソクを灯すように定められています。


いつ頃から、今のようなミサになったのですか?

基本的な形は、およそ2世紀頃までさかのぼることができるでしょう。
もちろん感謝の祭儀(ミサ)の原型は、2000年前、イエスさまが、最後の晩餐の席上で述べられた「私の記念としてこのように行いなさい」(ルカ22・19)に基づいています。


ミサの「ことばの典礼」で、省くことができるものはあるのでしょうか?
たとえば三つある朗読のうちの一つを省くとか・・・・・・?

「ことばの典礼」は、救いの歴史をたしかな構成のなかで示すものであり、むやみに省略することはふさわしくありません。
ただ、あくまでも条件つきですが、省くことは不可能ではないのです。
それについてはまず、「ことばの典礼」の構成について考えてみることにしましょう。


「ミサ」という言葉にはどのような意味があるのですか?

「ミサ」という言葉はラテン語の missa に由来し、もともとは「解散」という意味だったと言われています。
それが時代とともに、ローマ・カトリック教会の礼拝式を意味するようになりました。
司式司祭が会衆に向かってラテン語で Ite missa est( イテ・ミサ・エスト )と言って礼拝式の終了を告げていたことから、広く使われるようになったと言われています。
このラテン語を直訳すると「礼拝式は終わります。行きなさい」となります。


祭服の色は決まっているのですか?

典礼暦に従ったその日の典礼の内容によって、白色、赤色、緑色、紫色の4色を使い分けます。
そのほかに黒色とばら色も用いることができますが、実際にはあまり見かけません。


神父様はなぜミサのときいつも祭服を着るのですか?

祭服は、典礼にたずさわるそれぞれの奉仕者が固有にもっている役割の「しるし」だからです。
その意味から、司祭だけが祭服を着るとは言えないわけです。


福音朗読の時、
信徒が親指で額と口と胸に十字架のしるしをするべきですか?

信徒も司祭と同じように自分の額、口、胸に十字架のしるしをすることになりました。


うちの教会はミサの中でニケア・コンスタンチノープル信条を唱えていますが、
「・・・おとめマリアよりからだを受け」と唱える時に頭を下げる人がいます。
そうしなければならないのですか?

頭を下げる動作をするのが望ましいと思います。


ミサでは最初の挨拶のところでだけ十字を切ると聞きましたが、
終わりの部分で神父さまから祝福を受ける時に十字を切ってはいけないのですか?

特に問題はありませんから、自由になさって下さい。


司祭の入堂や退堂の時、信徒はどんな姿勢でいればいいのですか?
前を向いているのは何となく失礼な気がするのですが。

そちらの方にかるく体を向け、一礼するぐらいの自然な姿勢でよいと思います。


2014年11月1日よりミサの奉献文に聖ヨセフの名前が入りましたが、
なぜそう決められたのですか?

今使われているミサの第1奉献文には、もともと聖ヨセフの名が入っていました。
しかし、第2バチカン公会議後、新たにミサ典礼書に加えられた第2、第3、第4奉献文にはありませんでした。
こちらにもぜひ入れてほしいという多くの声に応え、教皇フランシスコが挿入を宣言されたというわけです。