祭服は、典礼にたずさわるそれぞれの奉仕者が固有にもっている役割の「しるし」だからです。
その意味から、司祭だけが祭服を着るとは言えないわけです。
このことは、『総則』が「あらゆる段階の、すべての奉仕者に共通の祭服はアルバである」(第298項)、また、「助祭以下の奉仕者は、アルバ、またはそれぞれの地域で正式に認められている祭服を着用することができる」(第301項)とのべていることからもわかります。
その意味では、司祭は典礼のなかで「司式者」という固有の役割を担っており、共同体のなかでそれを示すためにやはり固有の祭服を着用するのである、と、考える方がよさそうです。
今日の祭服は、そもそもローマ後期の礼服を様式化したものです。
ですから、313年にコンスタンティヌス帝がキリスト教に対して寛容令を出すまでは、こうしたものはなかったわけです。
アルバ(長白衣)を着てから(必要であれば)その上にチングルムという紐帯を腰にしめ、ストラ(襟垂帯)をつけ、その上にカズラ(プラネタとも)と呼ばれる祭服をまとう――というのが『総則』でものべられている(第298、299、302)、司祭が通常ミサを司式する際に着用する祭服ですが、これらはいずれも上でのべたようにローマ時代の礼服に起源を求めることができるわけです。
すなわち、アルバとチングルムはトゥニカという衣服の、カズラは帝政後期にトガという上衣の代わりに現れたパエヌラという衣服の、それぞれ名残りをとどめているというのです。
なぜ、この種の礼服が典礼の司式者たちのために採用されるに至ったか――それは、当時コンスタンティヌス帝その人がキリスト教に対してどのような思いを抱いていたかについて考える必要があるでしょう。
J.A.ユングマンは『古代キリスト教典礼史』(平凡社)で次のようにのべています。
「(コンスタンティヌス帝が寛容令を発布して以来)すべての階層でキリスト教徒になろうとする人が大挙して群れをなしはじめ、小心臆病の輩も、これからはキリスト教徒でいるのが得だといって、これに加わった。
皇帝自らもキリスト教を奨励した。
とりわけ促進したのは、やはり礼拝だった。
皇帝と皇族は、壮大な礼拝用の建物を建設した。
(中略)
これらの建物はどれも、広壮絢爛たるもので、皇帝の名を辱めないものだった。
教会が望むと望まざるとにかかわらず、すでにこのようなもので、世俗文化、すなわち古典古代文化と密接な関係に入り始めたことが、はっきりしてきた。」(p.138)
「古代ローマの文化の種々の習慣で、キリスト教典礼に流入していったほかの領域は、ローマ皇帝の宮廷である。
(中略)
コンスタンティヌス帝は、早くから教会の司教、特に教皇に敬意を表することで、自分のキリスト教信仰を表明したいという欲求を抱いた。
そこでいろいろな特権が司教たちに与えられた。」(p.147~148)
つまり、当時のローマの宮廷での儀式の作法や習慣などが、キリスト教の礼拝様式にも影響を及ぼすことになったわけです(ユングマンは同書で祭服の他にも香と灯火の使用、司教の前での跪拝などに、その頃の慣習から起源が求められるとしています。前掲書p.146~150参照)。
それらのいくつかはやがて――ローマ帝の宮廷儀式が過去のものとなるにつれ――当然のように形骸化してしまうのですが、あるものは聖書の表現にこじつけられるなどして今に残るようになるわけです。
ローマの宮廷にのぼる人々の礼服がやがて「祭服」として採用されるようになり、とは言っても、もはや日常的にそのような「礼服」を着ている人にお目にかかることもなくなってしまっているわけですが、そうなると今度は祭服と、その祭服を着用する人とに特別な意味が付加されるようになってしまいます。
「司祭その他の聖職者が祭式をあげるために祭壇におもむくときには、祭服をまとう。
それは自分を他の人々と区別するためばかりでなく、自分自身をも日常生活と切り離さんが為である。
なんとなればこの場合、司祭は一般信者会衆より立ち出て、神と人間との仲介者となるからである。
そこで自分と会衆のために神の前で祭式を行なうのである。
そこでは神と直接に交渉し、いなその両手で聖体に触れるのである。
そこでどうしても日常の衣服を脱ぎ祭式用の神聖な祭服をまとわざるを得なくなるのである。」
これは、ドム・ヒルデブランド・ヤイゼル著『カトリック典礼入門』(中央出版社、1963年)で祭服について説明した一文を抜粋したものです。
ローマ時代の礼服が、時を経て教会の位階制度と結びつき、ついには「日常生活と切り離さんが為」の「神聖」な衣服にまでなった、というわけです。
しかし、『典礼憲章』で「典礼行為は教会のからだ全体のものであり、これを表わし、これに働きかけるとともに、その個々の成員に、序列、役割、現実の参加の違いによって、それぞれ異なった仕方で関係する」(第26項)とのべられているように、「神聖」さはキリストのからだである共同体があってこそ、はじめて輝きを増すものではないでしょうか。
たしかに今では祭服の様式も非日常的なものでしかないのかもしれません。
その「非日常性」に意味を求めた時代もあったのですが、むしろ、教会の成員全体がひとつの「からだ」として感謝の祭儀をささげるなかで、互いの役割を認識しあうための「しるし」として考えた方がよさそうです。
「・・・・・・主は、信者たちが一つのからだに結合するように、信者の中のある人々を役務者に制定した。
このからだの中では『すべての構成員が同じ働きをするものではない』(ローマ12-4)」と、『司祭の役務と生活に関する教令』のなかでものべられています(第2項)。
ちなみに『総則』は、祭服が多くの装飾を施されて華美なものになるよりも「用いられる材料と形」にその「美と高貴さ」が求められるべきであるとし、装飾がなされる場合でも「聖なる用途を示す図形、絵、象徴をほどこすものとする」として(第306項)、あくまでも祭服のもつ「しるし」性を強調していることを最後に記しておきます。