いちがいに「噛んではいけない」とは言えないでしょう。 わたしたちのためにパン、すなわち食べものとなられたイエスさまが、「(これを取って)食べなさい」とわたしたちにすすめておられるからです。
ご聖体への崇敬の思いから、「噛む」ことをすすめなかったのでしょう。しかし、ご聖体がもつ「意味」についてあらためて黙想したときに、それを「キリストのからだ」と信じて「アーメン」(そうだ、ほんとうにそのとおりです)と応えて「食べる」、この一連の行為をとおして示されるわたしたちの信仰がどのように実践されるべきなのかを再考したほうがよさそうです。
ご聖体を噛むことの是非について答えるまえに、まず、どこからそのような発想が出てきたかについて考えてみることにしましょう。
かつてキリスト者は、いのちがけで主の日に集まり、パンを割いて分かち合っていました。
ところが徐々に聖体を拝領する人が少なくなりだしました。
その最初のきっかけをつくったのがアレイオス(250年頃~336年頃)という人物でした。
アレイオスは、キリストは神から造られた「被造物」であり、御父に「従属」するものであると説いたのです。
「子は父よりも劣っており、神的尊厳を有してはいるが、永遠の存在ではない。子は、時間の中で父によって創造された者であり、それゆえ父に従属する」(ヨゼフ・A・ユングマン、石井祥裕訳『古代キリスト教典礼史』平凡社 p.209)。
このような考え方を「アレイオス主義」と呼んでいます。
これはあきらかにまちがった考えで、後にニカイア公会議(325年)で否定されるにいたるのですが、教会はキリストの神性を強調する必要にせまられました。
この「アレイオス主義」はひろく流布し、ずいぶん人口に膾炙したといえます。
ところが教会がキリストの神性を強調するあまり、人々の感謝の祭儀に対する畏敬の念はやがて恐れとおののきにかわってしまったのです。
こうなると、今度はキリストの人間性がかすんでしまいます。
「クリュソストモスは、(感謝の祭儀をさして)『不気味な神秘』、『戦慄の食卓』、『恐るべき時』と言う。
主の体と身震いするほどの血を拝領するには、ひたすら恐れおののきながら歩み出るしかできない、と言うのである。
このような言い方に接したとき、日常のわずらわしさに追われている信徒は、意気消沈したに違いないと思われる」(ユングマン前掲書pp.219-220)。
ですから、感謝の祭儀は恐れをもって始められなくてはなりませんでした。
キリストは「友」であるどころかひたすら恐ろしい存在なのですから、ひざまずくことこそふさわしい。
立ったままで主(聖体)と視線を合わそうとするなんて、とんでもない。
交わりの儀ではとくに恐れをもって聖体に近づき、それを拝領するように・・・・・・と、ここまでいけばわざわざ聖体を拝領する(そんな恐れ多い!)よりも、ただありがたく眺めておいた方が無難だということになってしまいます。
事実、そういう時代を教会は迎えることになるのです。
中世期には、いかに熱心な信徒でも、聖体拝領は年に一、二回しかしなかったといいます(P.ネメシェギ『主の晩餐』南窓社 p.230参照)。
ご聖体噛むべからず、という発想は、どうやらこのような時代からの流れをくむものと考えることができそうです。
なぜいけないのか、理由は「恐れ多いから」。・・・・・・
ヨハネ福音書は、キリストが最後の晩餐のとき弟子たちに「あなたがたはわたしの友である」と告げられたことを記しています。
「これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。」(ヨハネ15章11~15節)
わたしたちのためにご自分の命をささげられたキリストは今やパンとなって、わたしたちを「友」と呼んでくださり、わたしたちの前にご自分をさしだしてくださっているのです。
友だちが自分のところに親しげに近づいてくるのを見て、恐れ多いからといって避けるような態度をとったら――いかにそれが悪気なくおこなわれたものであったとしても――相手を喜ばせることになるでしょうか?
ご聖体を噛むとか噛まないとかいう以前に、ご聖体を前にしたわたしたちにはもっと考えなくてはならないことがあるはずです。
「行為」が「思い」を生む、という考えにも一理ありますが、わたしたちの「思い」をあらわす「行為」が求められてもいるわけです。