うちの小教区はオルガンの上手な人もいなくて、歌がいつもバラバラで盛り上がらない。
どうしたらいいでしょう?

声をそろえて大きな声で唱えることから始めては?
無理をしないで一歩一歩できることからやっていきましょう。


日本の場合、大都会の教会は別として、地方の小教区に行くと、信者の高齢化が進み、オルガンを弾ける人など誰もいないという教会がけっこうあります。
講習会に行きたくても距離的、時間的に無理があるし、第一そんな人材もいないとなると、もうどうしたらいいのかわからない。
たしかに歌を上手に歌うためには練習がいります。そのための指導者も必要でしょう。
いつの日か、そういう人があらわれるかも知れません。
しかし、それまでは・・・。

教会はできるだけ歌うように勧めています。
そのための努力も促しています。
でも、すべての必要な部分を歌うようにとは言っていません。
祈りの心、参会者の心の一致がいっそう高く美しい形であらわれるのが典礼における歌です。
逆に言えば、いかに美しく、芸術的な歌であっても、祈りの心を欠いたもの、集まった人々の心の一致が感じられないものは、典礼の歌としてはふさわしくないのです。
たとえば、ミサ中にみんなが歌うのをやめてCDを流すことを想像してみて下さい。

教会は信徒に典礼への生き生きとした参加を求めています。
まず心をそろえて、大きな声で詩編や祈りを唱えてみてはいかがですか?
声がそろい、心がこもっていれば、それが歌声になるまではもう一歩です。
典礼聖歌集の中の答唱句のごく単純なものなら、唱えるのとほとんど変わりません。
そんなあたりから少しずつ前進するのが一番いいのではないでしょうか。
あせらず、希望をもって・・・。

もちろん、チャンスがあるのなら、有志の手で行われている講習会(大阪教区では、ブロックや地区ごとに研修会を開催する事例が増えてきており、典礼聖歌奉仕会や高田聖歌の心を学ぶ会 といった任意団体の研修会もあります。)に参加したり、地区、小教区に講師を招いて学ぶのも大変有益です。
また、参考になるような聖歌のCDも多数出ていますので、サン・パウロなどのホームページを訪ねてみて下さい。

(資料)

礼部聖省『典礼音楽に関する指針』(1967年)

1 若干の一般原則

典礼行為は、会衆の参加を得て、役務者( ministri )がそれぞれの段階の役務を行ない、歌のうちに行なわれるとき、より高貴な形式をとる。
この形式によって祈りはいっそう感動深く表現され、聖なる典礼の秘義とその位階的ならびに共同体釣な固有の性質はより明らかに表示され、声の一致によって心の一致はいっそう深められ、聖なる事物の美しさによって精神はもっと容易に見えざる現実にまで引き上げられるのであって、祭儀全体が聖なる都エルサレムで行なわれる天上の典礼の予型なのである。


歌うべき部分がすべて実際に歌われる典礼祭儀の盛儀の完全な形式と、歌を用いない最も単純な形式との間には、歌に割り当てられる部分の大小に応じて、数多くの段階がありうる。
しかし歌う部分の選択に際しては、その性質上重要性のより大きいものの中からまず選ぶべきであって、とりわけ、司祭や役務者が歌うべきもので会衆の答唱がこれに伴うもの、あるいは司察と会衆が同時に歌うべきものから始めなければならない。
会衆のみ、または聖歌隊( schola cantorum )のみに固有のその他の部分は、しだいに付け加えるようにする。


歌をもって執行すべき典礼行為のために人を選ぶことができる場合には、歌のじょうずなことが知られている人々をいつも優先するのがよい。
とりわけ、荘厳な典礼行為の場合、またむずかしい歌が要求されている場合、あるいはラジオやテレビで放送される場合には、そうである。

このような選択を行なうことができず、司祭または役務者が歌を正しく歌うだけのじゅうぶんな声を持ち合わせていない場合には、自分の担当するものの中のあるむずかしい部分を、歌わずに、声を高めて明確に朗唱することができる。
ただし、このようなことは司祭や役務者の個人的便宜のためだけになされてはならない。


聖歌隊のためにも会衆のためにも、教会音楽の種類を選ぶときには、歌わなければならない人々の能力を考慮すべきである。
典礼行為そのものの精神とその各部分の性質に適合するものであって、会衆の正しい行動的参加を妨げないものならば、教会はいかなる種類の教会音楽をも典礼行為から遠ざけるものではない。

10
信者がいっそう喜んで、またより以上の効果を得て行動的に参加するように、日と集会の荘厳度に応じて、できる限り、執行の形式と参加の段階を適当に変えることはよい。

11
典礼行為の真の荘厳さは華麗な形態の歌や盛大な儀典の展開よりは、むしろ典礼行為そのものの充実、すなわちすべての部分をそれぞれの固有の性質に基づいて挙行することを考慮した気品のある宗教的な執行によるものであることを記憶すべきである。
華麗な形態の歌や盛大な儀典の展開は、それをふさわしく行なう能力のあるところでは、時には望ましいことでもある。
しかし典礼行為のある要素の削除、変更、不規則な執行を導入することは、典礼行為の真の荘厳さに反することである。

16
典礼の祭儀執行において、全会衆がその信仰と宗教心を歌によって表現している姿以上に荘厳で喜ばしいものを見ることはできない。
それゆえ歌によって現わされる民全体の行動的参加を、以下の順序に従って慎重に促進しなければならない。
  1. その参加はまず司祭や役務者のあいさつに対する応唱・答唱、連願( litaniae )の中の応唱・答唱、なおそのうえに、交唱、詩編、挿入句またはくりかえし句、賛歌( hymnus )、聖書賛歌( canticum )を含むこと。
  2. 適切な教話( catechesis )と練習によって、会衆が自分たちに属する部分をしだいに多く、そしてついには全部歌うように導くこと。
  3. とりわけ、信者がじゅうぶんに訓練されていない場合、あるいは多声部に作曲されている場合には、会衆の歌のある部分を会衆に属するその他の部分から会衆を排除しない限り聖歌隊だけに任せることもできる。
    ただし、すべての「固有式文」とすべての「通常式文」の全部の歌を聖歌隊のみに任せ、会衆を歌による参加からまったく除外するような用法は承認すべきではない。

ミサ典礼書の総則と典礼暦年の一般原則(カトリック中央協議会1980年)

1 若干の一般原則
第二章 ミサの構造、要素、各部
二 ミサの種々の要素
種々の式文の唱え方

18
司祭か奉仕者、または一同がはっきりと大きな声で唱える式文は、朗読、祈願、指示、応唱、歌唱など、その式文の性質や、祭儀の形態、盛儀の程度に応じた声で唱える。
さらにそれぞれの言語および国民性の特質をも考慮に入れる。

したがって、典礼注記および以下に述べる規定における「唱える」または「述べる」ということばは、歌唱においても朗唱においても、上述の原則を守ったうえで理解しなければならない。

歌の重要性
19
主の再臨を待ち望みつつ一つに集まるキリスト信者は、詩編、賛歌、霊歌をともに歌うように使徒からすすめられている(コロサイ3・16参照)。
歌は、心の喜びのしるしであるからである(使徒言行録2・46参照)。
いみじくも聖アウグスチヌスは、「歌うのは愛している証拠」と言った。
また、古くからのことわざにも、「よく歌う人は倍祈ることになる」とある。

したがって、国民性やそれぞれの集会の能力に留意したうえで、祭儀においては、大幅に歌を用いるものとする。
ただし、本来歌うようになっている式文であっても、必ずしもいつも全部を歌う必要はない。
しかし、実際に歌う部分を選ぶ場合には、重要性の大きいものの中からまず選ぶべきである。
とりわけ、司祭または奉仕者が歌うべきもので、会衆の答唱がこれに伴うもの、もしくは司祭と会衆が同時に歌うべきものから始めるべきである。

各国の信者が集まる機会も日増しに多くなっているので、このような信者が、少なくともミサの通常式文のある部分、とりわけ、信仰言と主の祈りを、やさしい旋律を用いてラテン語でともに歌うことができることが望ましい。