カトリック聖歌集の聖歌は歌ってはいけないのですか?

公文書のどこを探しても「『カトリック聖歌集』は歌ってはならない」という禁止条令は見当たりません。
確かに最近、とくに公会議の後、教会の中であるいはそのほかの機会に、昔から用いていた『カトリック聖歌集』が使われなくなってきています。
何故そうなったか、その背景や従来の「カトリック聖歌」と「典礼聖歌」との違いや使われ方など、これを機会に確かめておきたいと思います。


あえて「典礼聖歌」を定義づけるならば、典礼の全式文を歌えるように作られた曲集ということになりましょうか。
古くから教会は「ミサ」や「教会の祈り」を共同体で唱える時、歌唱形式でもって実践しておりました。
つまり、歌ってミサをささげていたのであって、歌わない「ミサ」や「教会の祈り」は先ず考えられませんでした。
どんなわずかな式文でも。どのような祈りのことばや朗読聖書でさえも歌っていたのです。
歌う、といっても唱える、というほうが適当かもしれません。
つまり、棒読みや黙読で読み飛ばすようではなかったということです。

ただ、こうした典礼の実践は修道院が中心的で、しかも歌詞に用いられている言葉はギリシャ語かラテン語でした。
ですからこのラテン語で歌われるようになった聖歌が、ローマ典礼に固有の聖歌で、初めはローマ聖歌と呼ばれていましたが、後にグレゴリオ聖歌として発展していったのです。

このローマ聖歌は失われず、今も歌い継がれています。
しかし、普通の教会で、毎日曜日のミサや大祝日で全会衆がラテン語で歌うことなど不可能です。
そこでカトリック国では一般大衆向きの歌が作られ、それが明治から昭和の半ば頃までの間に宣教師によって日本に移入されました。
そして、その旋律に日本語訳をで歌われるようになり、そうした曲を集め編集して出来たのが、初めは『公教聖歌集』その後何度も改定されたのが『カトリック聖歌集』です。

なつかしい、といわれる方もありましょう。
しかし、収録されている曲のほとんどはミサや教会の祈りの典礼に、文字通り、対応できるのは限られています。
そのような訳で、現行のカトリック聖歌集の中から典礼的と思われるならば使うことは可能です。
私見では336番<主われにさせり>マニフィカトや441番詩編128番(デ・プロフンディス)をお奨めします。
この他の日本語の歌は一般聖歌として、たとえばミサの終わりに、「われ神をほめ」を感謝の歌として歌ってはどうでしょうか。

現行の『典礼聖歌』が発刊された際に、当時の典礼委員長を務めておられた長江司教様がその序文に
「なお本書の発行は仕事の完成ではなくて、大きな未来への第一歩であることを確認しておきたいと思います。」
と書いておられるように、私たち自身が新しい賛美を創りだす使命と責任があることをますます自覚しなければならないでしょう。