ミサの中で、外国語の歌や外国語から翻訳された歌が増えてきているのは、教会が決して日本人のためだけの教会ではないという理解が広がってきているからでしょう。
実際、カトリック中央協議会が2001年に発表した統計資料によりますと、日本に在住する外国人信徒数は推計 452、932 人にのぼり、日本人信徒数の 435、944 人よりも多くなっています。
歌そのものについて触れる前に、まず典礼における言語の問題について考えてみましょう。
『典礼憲章』(1963年)は、
「ミサにおいても、秘跡授与においても、また典礼の他の分野においても、国語の使用は人々のために非常に有益な場合が少なくないため、より広範囲にわたって国語を使用することも可能である」(第36項)と述べたうえで、次のように続けています。
「教会は、共同体全体の信仰、あるいは善に触れないことには、典礼においてさえも、厳格な一律の形式を義務づけようと望んでいるのではなく、かえって諸国と諸民族の特質と才能を伸ばし、育てる。
教会は民族の慣習の中で、迷信や誤りと結ばれて切り離しにくいもの以外は、すべて好意をもって評価し、できればそれを完全に保存するだけでなく、時にはそれを典礼そのものの中に取り入れる」(第37項)。
「ローマ典礼様式の本質的統一を保ったうえで、とくに宣教地において、それぞれの集団、地方、民族への順応と正当な多様性の余地が残されなければならない」(第38項)。
そもそも、典礼におけるラテン語使用の歴史が「民族の慣習」を認めることに端を発するものだったのです。
キリスト教がローマ帝国内で広まりつつ合った時代、教養のある人はギリシア語を著述に用いていたため、礼拝で用いられる言語もギリシア語でした(J.A.ユングマン、石井祥裕訳『古代キリスト教典礼史』平凡社、p.141参照)。
ところが次第にラテン語が用いられるようになり、ゲルマン民族の大移動をきっかけとして、ギリシア語よりもラテン語が優位になりました。
「五世紀以後ゲルマン諸民族は、ラテン文化の諸地方に浸透し続けていた。フランク族、ブルグント族、西ゴート族、いずれもである。
彼らはその諸地方で、全人口ではわずかな階層を占めていたにすぎず、ローマ人の住民のすぐれた文化を認め、進んで適応しようとした。
ゲルマン人支配階層にとって、ラテン語はより高貴で実用的な言語と映ったに違いない。
彼らはいち早くラテン語に慣れ親しんでいった。
ともかくもある程度はラテン語を解するようになり、明らかにそのことを誇りにさえ思うようになった。
そのため礼拝にゲルマン語を使用するほど、さし迫ってはいなかった。
ラテン語は唯一の文章語、文学語でもあったため、典礼言語として残ったのである」(前掲書p.231)。
典礼においてどのような言語が採用されてきたかという歴史を見たとき、上の『典礼憲章』の「教会は、・・・・・・典礼においてさえも、厳格な一律の形式を義務づけようと望んでいるのではなく、かえって諸国と諸民族の特質と才能を伸ばし、育てる」という言葉が説得力をおびてきます。
ですから、典礼で用いられる言語がただ一つに限定されてしまうと ― 典礼が個人や特定の共同体の意志をかなえるために「利用」されてしまうような危険をふせぐことができる一方で(「ローマ・ミサ典礼書の総則」『ミサ典礼書の総則と典礼暦年の一般原則』カトリック中央協議会、第11項参照) ― 教会はその本質の一部をそこなうことになってしまいます。
たとえば、ラテン語が「高貴な文章語、文学語であり行政言語」であったがために、やがて貧しい市井の人びとが典礼に参加する「助け」とはならなくなったことがあげられます。
この言語でささげられる典礼が神秘的で荘厳な雰囲気を醸し出しこそすれ、「参加するもの」というよりも「眺める(ための)もの」になってしまったというのは、人びとにとって自然なことであったといえるでしょう。
ラテン語だけの世界では、人々はどうしても、「無言の傍観者」にならざるを得なかったのです(『典礼憲章』第48項参照)。
自分たちの生きたことばで典礼がささげられていないのですから、視覚的な要素に頼らざるをえなくなってしまいます。
その結果、目に見えるものからくる“イメージ”が先行し、人びとの自由勝手な「解釈」が入りこんでしまうようになってしまったという苦い経験を教会は体験してきました。
さて、ここで最初の質問にかえりましょう。
上に引用したように、『典礼憲章』は「教会は、共同体全体の信仰、あるいは善に触れないことには、典礼においてさえも、厳格な一律の形式を義務づけようと望んでいるのではなく、かえって諸国と諸民族の特質と才能を伸ばし、育てる。
教会は民族の慣習の中で、迷信や誤りと結ばれて切り離しにくいもの以外は、すべて好意をもって評価し、できればそれを完全に保存するだけでなく、時にはそれを典礼そのものの中に取り入れる」と述べています。
ここで、「教会」とはだれのことをさしているのか考えてみましょう。
「キリストのからだである教会の部分として、わたしたち一人ひとりは」と理解してこの一文を読むと、これがだれか「えらい人たち」の宣言文としてではなく、むしろわたしたち一人ひとりの「心構え」を述べたものである、と解することはできないでしょうか(『典礼憲章』第7項参照)。
たしかにじゅうぶんな予備知識や練習もなしに、(たとえ日本語詞に訳されていても)外国(語)の歌が典礼で使用されていれば、「なじみのない」ものと感じるのはしごく当然のことです。
しかし、「わたし」にとってなじみのないものでも、「わたし以外のだれか」にとってなじみのないものだとは、決して言えないわけです(『典礼憲章』第27項参照)。
特に現代の教会は、「国籍の如何を問わず同じ場に集う者は教会の大切な構成メンバーであり、これからの教会づくりのために共同責任を担ってともに働く重要な仲間」(新生計画実施要領作成委員会編『新生の明日を求めて』p.140)である、という意識なくして成り立ち得ない、とさえ言えるからです。
わたしたちにとってなじみがない聖歌でも、それが「諸国と諸民族の特質と才能」を映すものであれば、少なくともわたしたちはそれらに関心をはらい、知り、できれば積極的に取り入れていくことにつとめなければならないのではないでしょうか。
「教会は民族の慣習」に対して、「すべて好意をもって評価し、できればそれを完全に保存するだけでなく、時にはそれを典礼そのものの中に取り入れる」からです。
とくにそれが「心の喜びのしるし」(使徒言行録2章46節参照)である“歌”となれば、なおさらのことであるといえるでしょう。
このことは特に、「子どもとともにささげるミサ」の場合、なおのこと留意されるべきでしょう。
「すべての祭儀に歌が大切にされるべきであるならば、子どもとともにささげるミサでは、音楽を好む子どもの性質にかんがみ、その国独自の文化と子どもたちの実力を考慮した上で、大いに歌を取り入れなければならない」(『子どもとともにささげるミサの指針』第30項)。
もちろん「該当の箇所に定められている基準」(『ミサ典礼書の総則と典礼暦年の一般原則』p.110、第324項)と「国民性やそれぞれの集会の能力」(前掲書 p.30、第19項)に留意しなくてはなりません。
しかし、「諸国と諸民族の喜びのしるし」である聖歌が偏見を越えて採用され、ともに歌われることによって、「神の民」であるわたしたち共同体のささげる主日の典礼が「あらゆる民族、言語の人々をみ国の祝宴に招いてください」(「ゆるしの奉献文 二 人類の和解」参照)という祈りの“目に見えるしるし”となれば、それはすばらしいことであると言えるのではないでしょうか。