祭壇は高い場所にないといけないのでしょうか?

「高さ」についての規定は特にありません。
祭壇が聖堂内で比較的高い場所に置かれるのは、感謝の祭儀につどう参加者すべての注意と行為を集中させるためであるといえるでしょう。
ただし、あまりにも高い場所に祭壇を置いてしまうと、かえって参加者とのあいだに距離ができかねません。
最近建てられた聖堂の中には、逆に緩やかな勾配をつけて、会衆席より低い位置に祭壇が設けられているところもあります。


初代教会の人々は、自分たちが共同体として「集う」こと、そしてこの「集い」のうちに神がおられることに意味を見出していました。
当時のキリスト者たちにとって祭壇は、あくまでも共同で感謝の食事をおこなうための日常的な木製の「食卓」であり、それを装飾しようというような発想はなかったようです。
もっともこれは、神殿などの建物や祭壇を華美に飾りたてるあまり、かえって「中心」をぼやけさせてしまった当時の異教徒たちへの反発も少なからずあったと考えられます。

しかし、参加者が増えて共同体が「大所帯」になっていくにつれ、実際に食事をすることはしだいになくなっていったようです。
人びとが集うために、ますます広い場所が求められるようになっていくなかで、「主の食卓」が集会全体の「中心」となるためには、「祭壇」のようなかたちをとるようになっていくのもやむを得ないことだったのです。

キリスト教をみとめたコンスタンティヌス帝にいたっては、金と宝石で飾られた銀製の食卓を、聖ペトロと聖パウロのバジリカにそれぞれ寄贈したと伝えられています。
こうした変化のなかで、美しく装飾された「祭壇」が聖堂内でもしだいに高みにあげられていきました。
人々には祭壇がそもそも「食卓」であったと思い起こすことが、ますます難しくなっていきました。

しかし、現代の教会の指針である第2バチカン公会議の『典礼憲章』や、全ての典礼の基礎となる『ローマ・ミサ典礼書の総則』などの記述は、「祭壇」がキリスト者共同体がとり囲む「主の食卓」であることを、私たちにあらためて思い起こさせてくれます。
それは、「集い」そのものに特別な意味を見出していたキリスト者たちの心を、現代の私たちに蘇らせるものであると言えるでしょう。
立派な「祭壇」をまのあたりにしても、本来それは、感謝の祈りをささげるために「囲む」ものであることを忘れないようにしたいものです。

(資料)

護教家ミヌキウス・フェリクス( 160頃~230頃 )
「われわれキリスト教徒にはいかなる神殿も祭壇もない」

『新約聖書』使徒パウロのコリントの信徒への手紙ニ(6:16)
「わたしたちは生ける神の神殿なのです。」

『典礼憲章』
第1章26(典礼の共同体性)
「典礼行為は、個人的行為ではなく教会の祭儀である。教会は『一致の秘跡』、すなわち、司教の下に一つに統合された聖なる民である。」

第2章48(信者の参加)
「教会は、キリスト信者がこの信仰の秘儀に、外来者、或いは無言の傍観者として列席するのではなく、儀式と祈りによってこの秘儀を理解し、聖なる行為に、意識的に、敬虔に、また行動的に参加し、神の言葉によって教えられ、主のからだの食卓において養われ、神に感謝をささげ、ただ司祭の手を通してだけではなく、信者も司祭とともに清い供え物を奉献して、自分自身を奉献することを学び、こうして、キリストを仲介者として日々神との一致と相互一致の完成に向かい、ついには神が全てにおいてすべてとなるように全力を傾注しているのである。」

『ローマ・ミサ典礼書の総則』
第259項
「祭壇は、十字架のいけにえが秘跡的なしるしのもとに現在のものとなる場所であるとともに、またミサにおいて、それにあずかるよう神の民がともに招かれている主の食卓でもあり、感謝の祭儀によって実現される感謝の祭儀の行為の中心である。」

第262項 祭壇の位置について
「容易に周りを回ることができ」「会衆に対面して祭儀を行うことができ」「全会衆の注意がおのずから集まる真に中心となる場所であるようにする」

第263項
「固定祭壇の平板は石製とし、自然石を用いるものとする」が「司教協議会の判断によって、堅固で精巧に作られた他のふさわしい材料を用いることができる」

第264項 可動祭壇について
「品位があり堅固な、そして各地方の伝統と習慣から、典礼的使用にふさわしいどのような材料によっても造ることができる」

『古代キリスト教典礼史』 J.A.ユングマン、石井祥裕訳 平凡社( P133 )
「最初期の祭壇はその本質にふさわしく、パン、ぶどう酒という献げものを置ければよいだけの、ただの食卓だったからである。それ以上のものは必要なかった」