無理やりに統一するよりも、むしろその違いをミサの豊かさとして受け止めていきましょう。
ミサの中で司祭が何でも自由に行ってよいわけではありません。
きちんとした規定が存在します。
しかし総則や典礼書を調べると、たくさんの箇所において、自由な選び・オプションが与えられていることもすぐ目につくと思います。
だから、司祭によって捧げ方が少し異なってくることはむしろ当たり前です。
それぞれの司祭の人間性によって、それぞれのスタイルの違いも現れてくるのはむしろ自然なことではないでしょうか。
ただ、信者があまりにとまどってしまうような事が出てきた時には、率直に担当司祭方と話し合う事も必要でしょう。
逆に、もし受け入れられる範囲内の違いであれば、むしろ積極的にそれぞれの違いをミサの豊かさとして味わうことも意味深い事だと思います。