ミサ中、立ったり座ったりしますが、動作に何か意味があるのですか?

伝統的に、立つのはキリストの復活を象徴する姿勢、座るのは黙想する姿勢だと考えられています。

入祭の歌やアレルヤ唱、閉祭の歌などは立って歌いますが、それはキリストを迎えることキリストと共に派遣されていくことを意味しています。
一般に私たちは、人を歓迎するとき、立って迎え、敬意を表します。
じっとしていられないほどの喜びを感じるときも、立ち上がってそれを表現します。
福音朗読を聞くとき、信仰宣言を唱えるとき、感謝の典礼のほとんどの場面で私たちは立ちますが、それは、復活して私たちの間に立っておられるキリストを意識するためです。
司式者も会衆も、参加するすべての人が一緒に心と声を合わせて祈りをささげるとき、私たちは立ちます。

また、私たちは人の話に集中して耳を傾けるとき、心を落ち着けてじっと考えるときに座ります。
朗読される聖書のことばや司祭の説教など、目の前で行われていることに集中し、心を落ち着けて味わい、いただいた恵みについて黙想するとき、座ります。
座って歌うときなどは黙想、観想の状態から神に応えることを意味しています。朗読後の沈黙のひと時は、神の業を思い起こして味わいながら、黙想する深い祈りのひと時です。

ただし動作というものは、時代と文化によって異なる可能性のあるものですから、動作そのものに縛られるのではなく、捧げている祈りと、何を大切にしようとしているかを意識することこそを大切にしたいものです。
日本の司教団がまとめた「日本間で行うミサに関する指針」などを見ると、典礼における動作の考え方がよくわかるのではないでしょうか。

(資料)

『ミサ典礼書の総則と典礼暦年の一般原則』(カトリック中央協議会1980年)
第二章 ミサの構造、要素、各部
二 ミサの種々の要素
動作と姿勢

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動作と姿勢の統一を得るために、信者は、助祭、司祭あるいは他の奉仕者が祭儀の間に述べる指示をよく聞くことが大切である。
さらに、他の指示がないかぎり、すべてのミサにおいて、入祭の歌の始まりから、あるいは司祭の入堂から集会祈願の終わりまで、福音の前のアレルヤ唱のとき、福音の朗読のとき、信仰宣言と共同祈願の間、そして、奉納祈願からミサの終わりまでは立っているものとする。
ただし、以下に述べる部分を除く。
座るのは、福音の前の聖書朗読および答唱詩編の間、説教の間、奉納の供えものの準備のときである。
また、適当であれば、拝領後の聖なる沈黙の間にも座る。場所が狭かったり、出席者の数が多かったり、他の重要な理由がないかぎり、聖別のときにはひざまずくものとする(日本では、ひざまずくかわりに合掌して深く礼をする)。
 しかし、ローマ・ミサ典礼書に記されている動作や姿勢を国民性に適応するのは、司教協議会の権限である。
ただし、祭儀の各部分の意味と性格にかなったものとなるよう指示すべきである。

「日本間で行うミサに関する指針」(1969年 典礼委員会)
2 和室における司式法の原則
原則として、新しい『ミサの式次第』および『ミサ典礼書の総則』を守るが、和室であるから起立することと、中腰になってひざまずいていることはなるべく控え、正座を基本姿勢とし、和室における一般的な作法を守り、和室の設備や調度品を無理のないように役立てる。
(中略)
典礼上のあいさつは、司祭の場合も、信者の場合も座礼で行う。