伝統的に、立つのはキリストの復活を象徴する姿勢、座るのは黙想する姿勢だと考えられています。
入祭の歌やアレルヤ唱、閉祭の歌などは立って歌いますが、それはキリストを迎えることキリストと共に派遣されていくことを意味しています。
一般に私たちは、人を歓迎するとき、立って迎え、敬意を表します。
じっとしていられないほどの喜びを感じるときも、立ち上がってそれを表現します。
福音朗読を聞くとき、信仰宣言を唱えるとき、感謝の典礼のほとんどの場面で私たちは立ちますが、それは、復活して私たちの間に立っておられるキリストを意識するためです。
司式者も会衆も、参加するすべての人が一緒に心と声を合わせて祈りをささげるとき、私たちは立ちます。
また、私たちは人の話に集中して耳を傾けるとき、心を落ち着けてじっと考えるときに座ります。
朗読される聖書のことばや司祭の説教など、目の前で行われていることに集中し、心を落ち着けて味わい、いただいた恵みについて黙想するとき、座ります。
座って歌うときなどは黙想、観想の状態から神に応えることを意味しています。朗読後の沈黙のひと時は、神の業を思い起こして味わいながら、黙想する深い祈りのひと時です。
ただし動作というものは、時代と文化によって異なる可能性のあるものですから、動作そのものに縛られるのではなく、捧げている祈りと、何を大切にしようとしているかを意識することこそを大切にしたいものです。
日本の司教団がまとめた「日本間で行うミサに関する指針」などを見ると、典礼における動作の考え方がよくわかるのではないでしょうか。