「祝福」と「祝別」は同じですか?

ラテン語で「祝福」は benedictio、「祝別」は consecratio で、違う言葉です。

「祝別」は「聖別」とも言います。
また、古い文書では benedictio の訳語として「祝別」を用いているものもあるので注意が必要です。

「祝別」の原語の consecratio には奉献するという意味もあり、単に祝福するのではなく、別のものにするというニュアンスを含みます。
実例としては、
「祝福」は人・建物・教会付属の品や信心用具などにされ、
「祝別」はミサの中での聖変化・教会堂の献堂・司教の叙階・奉献生活の会の会員の奉献などにされます。

「祝福」とは、
聖書の中では、神が創造の際に鳥と魚、人を祝福し、「産めよ、増えよ」と言ったり( 創 1: 22, 28 )、ノア( 創 9: 1 )、アブラム( 創 12: 2 )、サラ( 創 17: 16 )、イシュマエル( 創 17: 20 )、イサク( 創 26: 3 )、ヤコブ( 創 28: 14 )、モーセ( 出 20: 24 )などを祝福したりしています。
イエス様も「子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福」( マコ 10: 16 )しています。
イスラエルでは、祝福は祭司の担う重要な職務の一つとされ、儀式の初めや終わりには会衆を祝福しました。
このような聖書の祝福の伝統を背景にした教会における「祝福」は、神の救いの業を記念しながら、神の恩恵が今、そして将来において働くこと願い求める行為で、祈りの言葉と多くの場合は儀礼的動作(十字架のしるし、按手、散水、塗油など)をもって行われます。

昔は祝福行為に関して、コンセクラティオ(「聖別」または「祝別」)の用語が多く使われていたため、ものや人の在り方の変化に関心が向けられてきたきらいがありますが、第2バチカン公会議後の典礼では、祝福の本質である、神からの恩恵と神に対する賛美の関係を明確に表し、ものに関する場合でもつねにそれを使う人を主眼とするように刷新されました。
ですから、祝福を求める祈りは、物ではなく人に向けられています
(以下の祈願文は、いずれも、カトリック札幌教区典礼委員会編「祝福の祈り」あかし書房刊 からの引用です)。

「今、このロザリオを使っておん子の神秘を黙想する人びとに豊かな祝福を注ぎ、おん子と一つに結んでください。」
(ロザリオの祝福)

「主の霊に導かれてこの車を運転する人びとの働きが、あなたのみ栄えとなり、あなたのうちに必要な力と英知を汲みとることができますように。」
(車の祝福)

「聖○○○のご像を飾って(または聖○○○のメダイを身につけて)、聖人のうちに現されたあなたの恵みをたたえ、その徳に倣い、その保護に寄り頼む私たちの上に、豊かな祝福を注いでください。」
(聖像やメダイの祝福)