教会の礼拝式で賛美の歌がうたわれるのは、その礼拝をより豊かなものとするためです。
礼拝をより豊かなものとし、参加する会衆の心を一つにするためです。
キリスト教に限らず、宗教にはそれぞれ固有の礼拝の仕方があります。
そして祭礼や礼拝式では、必ずと言えるほどその宗派独自の礼拝にかなった音楽が伴います。
それらを総称して「礼拝音楽」または「宗教音楽」と言います。
それは各宗派が大切にしている礼拝形式をより豊かにすることから生み出された信仰心の表れでしょう。
そのようなことが、たとえば神道での雅楽、仏教では声明(ショウミョウ)などの音楽へと発展しました。
時には踊りさえも取り入れられました。
このように、礼拝と音楽は不可分の関係にあるのです。
キリスト教の教会音楽の発展過程も同じです。
歌いながら祈り、祈りながら歌うことはごく自然なこととして古くから受け継がれてきました。
聖パウロはコロサイの教会に宛てた手紙で「知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい」(コロサイ3・16)と書いています。
ここで言う詩編とは、旧約聖書の『詩編』のことです。
賛歌とは、旧約聖書にも新約聖書にも数多く見られる『聖書賛歌』、たとえば聖マリアが唱えたマニフィカトなどのことです。
そして霊的な歌とは、文字どおり霊に充たされた人びとの信仰から溢れでた賛美の歌のことだと考えられます。
歌は単に祭儀を美しく飾りたてるためのものではないのです。
このような豊かな遺産ともいえる詩編や賛歌を、教会は年間を通じて、礼拝の中心である「感謝の祭儀」と「教会の祈り」に用いています。
ローマ・カトリック教会の場合には「典礼音楽」とか「典礼聖歌」とも言われています。
神はイエスの生き方とことばを通して、人々にご自分が分かるようにあらわされました。
ですから私たちも、それぞれの国の言葉で祈り、歌うのです。
これが第二バチカン公会議による「典礼用語の国語化」です。
歌うことによって、唱える歌詞や神のことばである聖書が棒読みとなることがさけられ、生き生きとしてきます。
それはまさにその時その場に働く神を体験することに結びつくのです。
つまり、歌うことによって神と出会うことが出来るのです。
聖アウグスチヌスも、フランスの詩人であり外交官だったポール・クローデルも、教会で歌われている詩編や聖書を耳にして、信仰を回復することができたと自らの体験を記しています。