教会では、女性信者はベールをかぶらなければいけないのですか?

教会にはベールに関する規定は特にありません。
ですから、かぶるのも自由ですし、かぶらなくてもかまいません。


ベールに関する説明でよく聞くものを一応あげてみますが、いずれもはっきりとした根拠とはなっていません。

パウロの言葉に基づくという説
パウロの手紙の中に、女性は祈るときに頭にかぶりものをすべきだという言葉があります。
ただ、パウロは続けて、女は男に依存している旨の発言もしています。
要するにこのパウロの発言は、キリスト教の本質に基づいたものと言うより、彼の生まれ育った地方の当時の習慣や考え方が色濃く反映されたものと見るべきでしょう。
従ってこの言葉のみをよりどころとして、現代の女性にもベールを義務づけるのは無理があります。

洗礼式で与えられる白衣に基づくという説
洗礼の直後、司祭は受洗者に「白い衣を受けなさい」と言い、代父母は受洗者に白衣を着せます。
ベールを白い衣と解釈することは可能ですが、白衣を受けるのは女性だけではありません。
女性だけが、洗礼の時に受けた白衣を着続けなければならないという説明には無理があります。

教皇の命令に基づくという説
あまりにも華美になりすぎた女性の頭飾りを憂えた教皇グレゴリオ10世(在位1271-1276)が、聖堂内ではベールだけにするように命じたと言われていますが、これも俗説ではっきりとした根拠とはなっていません。

なお、旧約聖書によると、当時のユダヤの女性は、結婚の準備段階でベールをかぶったようです。
その習慣に、女性の慎み深さと徳を守ろうとする動きが加わり、既婚女性は特にベールをかぶるようになりました。
今でも中近東の女性は通常ベールをかぶりますし、イスラム文化の影響を受けたスペインなどでもベールは既婚女性の盛装とされています。

修道女たちが伝統的にベールをかぶっていたのも、キリストの花嫁、つまりある意味で既婚女性であることを示していたのです。
要するにベールは、信者のしるしというよりは、既婚女性のしるしであったと言うべきかも知れません。

(資料)

『旧約聖書』(創世記24章61-67節)
リベカは、侍女たちと共に立ち上がり、らくだに乗り、その人の後ろに従った。
僕はリベカを連れて行った。
イサクはネゲブ地方に住んでいた。
そのころ、ベエル・ラハイ・ロイから帰ったところであった。
夕方暗くなるころ、野原を散策していた。
目を上げて眺めると、らくだがやって来るのが見えた。
リベカも目を上げて眺め、イサクを見た。
リベカはらくだから下り、「野原を歩いて、わたしたちを迎えに来るあの人は誰ですか」と僕に尋ねた。
「あの方がわたしの主人です」と僕が答えると、リベカはベールを取り出してかぶった。
僕は、自分が成し遂げたことをすべてイサクに報告した。
イサクは、母サラの天幕に彼女を案内した。
彼はリベカを迎えて妻とした。
イサクは、リベカを愛して、亡くなった母に代わる慰めを得た。

『新約聖書』(コリントの信徒への手紙一 11章5-7節)
女はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭に物をかぶらないなら、その頭を侮辱することになります。
それは、髪の毛をそり落としたのと同じだからです。
女が頭に物をかぶらないなら、髪の毛を切ってしまいなさい。
女にとって髪の毛を切ったり、そり落としたりするのが恥ずかしいことなら、頭に物をかぶるべきです。
男は神の姿と栄光を映す者ですから、頭に物をかぶるべきではありません。
しかし、女は男の栄光を映す者です。