聖体が安置されている聖櫃の場所を教え、
キリストが現存しておられることを示すためです。
キリスト者たちがまだ自分たちの「聖堂」と呼べるような公の集会所を持たなかった時代、
聖体は感謝の祭儀をするために部屋を貸してくれた人の家に安置されていました。
しかしそれは個人的な礼拝のためではありませんでした。
その日の「集い」に参加できなかった人々
――病者や死の危険にある人、牢に囚われている人たち――
に聖別されたパンを届けるためでした。
ですから、この時代には聖体ランプなど必要ありませんでした。
しかし、キリスト教の迫害時代を経て、いわゆる「聖堂」が建築されるようになってから、
聖体はこの建物のなかに設けられた「貯蔵庫」に納められることになりました。
これが現在の聖櫃(せいひつ)の起源です。
聖別されたパンの前に灯りを灯すようになったのは、
聖体への信心が高まった11世紀以降の西方教会においてです。
聖櫃が中央祭壇の上に置かれ、同時に聖人の遺骨を蔵した傍祭壇などが造られるようになったため、
それらを中央祭壇と区別する必要がでてきたためとされています。
聖櫃の前に灯されているランプは常明燈といわれていました。
これは、聖堂に入ってきた人に聖体がどこに安置されているかすぐにわかるようにするためのものでした。
古くから祭壇の前、あるいは上方にランプをともしておく習慣があり、
かつてはここから火をとって祭壇上のろうそくに火を灯していたと言われています。
このような歴史からお分かりのように、ランプは赤色でなければならないというものではありません。
実際、外国のいろいろな教会では、昔ながらのランプやろうそくがそのまま(つまり白色で)使われているところが少なくありません。
けれども、日本の多くの教会も含め、通常赤色のランプが使われているのは、
聖体のもとにその神性と人性をともなって現存されるイエス・キリストの脈打つみ心をよりよく表すため、という理由からのようです。