聖水盤の聖水で十字をきる行為によって、洗礼により生まれ変わった自分が神のみ前にいることをしっかりと自覚するためです。
なぜなら、聖水は典礼の場にキリストがともにおられることを効果的に表す「しるし」であり、十字架のしるしは、信者に「父と子と聖霊のみ名によって」授けられた洗礼を思い起こすものだからです。
十字架のしるしをする習慣は、使徒たちの時代にまでさかのぼると言われていますが、それは信者にとって洗礼を絶え間なく更新させるものであり、キリストにおいて新生したことを思い起こすためのものなのです。
その意味からすると、ミサにおいて「キリストのからだ」である聖体を拝領し、「派遣」されて聖堂を退出するときにこの行為をとらないことがわかるでしょう。