ミサ中、聖別されたパンやカリスが示されるとき、鈴を鳴らす教会があるのはなぜですか?

会衆の注意を喚起するためと言えるでしょう。
特に聖堂が大きくて祭壇で行われていることが見えにくかったり、司祭の言葉が理解できなかったり声が聞こえにくかったりする場合には必要かもしれません。


第2バチカン公会議までは、司祭は信徒に背を向ける形でミサ(感謝の祭儀)を行っていました。
またすべてのお祈りがラテン語だったために、会衆には司祭がどのようなお祈りをしているのか、よくわからないことが多かったのです。
そこで、ことばの典礼が終わり感謝の典礼に入ったという合図のために、「感謝の賛歌」冒頭の「聖なるかな」のところと聖別の少し前に鐘を鳴らしていました。

第2バチカン公会議の刷新により、人間の賛美の声を大切にするために「聖なるかな」のところで小鐘や鈴を鳴らすことは廃止されました。
しかし聖別されたパンやカリスが示されるときに鈴を鳴らすことは廃止されていません。
祭壇で行われていることが信徒に見えにくい場合や言葉を理解できない人が多い場合、音響設備が悪い場合などは鈴を鳴らした方がいいでしょう。

(資料)

『ミサ典礼書の総則と典礼暦年の一般原則』( ローマ・ミサ典礼書の総則 109 )(カトリック中央協議会)
「聖別の少し前に、適当であれば、奉仕者は小鐘を鳴らして信者の注意を喚起する。同じく地方の習慣に従って、それぞれ、パンとカリスが会衆に示されたときに小鐘を鳴らす」

『新世界カトリック教会史』( トマス・ボーゲンコッター/石井健吾訳 エンデルレ書店 P156 )
「(14世紀ごろ)ミサに来る一般信者の第一の目的は、聖別されたホスティアを見ることにあり、多くの人にとってのクライマックスは、聖変化後に司祭がそのホスティアを奉挙する時だった。予鈴が前もって信者に促すように鳴らされると、大勢の人が、奉挙の際そこに居合わせようとして、教会から教会へと町中を駆けめぐった。時として彼らは、ホスティアを高々と奉挙したままじっとしているよう、司祭に特別の謝礼まで払い、ある者は、そのホスティアを眺めるのに最上の席を手に入れようとして訴訟まで起こしたのである。」

『ミサがわかる 仕え合う喜び』( 土屋吉正 オリエンス宗教研究所 P137 )
「総則109は、奉献文中に奉仕者が鈴を鳴らす習慣について、大聖堂でも司祭が対面せずに小さな声でミサを司式するような場合を考慮し、『聖別の少し前に、適当であれば奉仕者は小鐘を鳴らして信者の注意を喚起する。同じく地域の習慣に従って、それぞれ、パンとカリスが会衆に示されたとき小鐘を鳴らす』と言っています。したがって、ミサが会衆に対面して司式され、聖別の詞がよく聞き取れる場合には必要ではなく、鳴らすことによって、かえってことばが妨げられることが多いので、「適当である」場合は少ないようです。聖別後、会衆に示すときにも、対面司式の場合は必要なく、記念唱を必ず歌うようにすることのほうが、賛美として大切です」